めんどくさいヤツ

「考える力」が大切だと謳われ始めて久しいですが、

果たして、今の環境、教育は本当にそこに重点が置かれているでしょうか。

 

子どもたち、生徒たちや、先生方から学校の話を聞く限りでは、

少なくとも私の周りの子供たちの多くがこれから辿るであろういわゆる「普通の」ルートでは、

変わったのは、「テストの出題の仕方」だけで、

結局は、本質的なものは何も変わっていないように思います。

 

なぜか、考えてみたのですが、

恐らく、

学校の先生もめんどくさいはずなんですよ。

生徒一人一人が自由に考えを持って発言して、行動したとして、そこに付き合う余裕がないんですね。

ご自身もそんな教育を受けて成長してきたはずで、そこに疑問も何も感じずにそのまま教育に携わっている場合はなおさらです。

まずルールで縛って、その上で、最近よく聞く「考える力」を謳っておくぐらいが限界なんですよ。

でも、余裕ある学校は授業の仕方、学校自体の在り方もシフトしていっています。

疑問を持った大人は、子供の環境を広く選び始めているようです。

 

本当の意味で、「考える力」というか「考える習慣」を身につけるべく環境を作っています。

本当の意味で、子供たちにこれから必要になる(であろう)力を養うべく、動き出しています。

 

我々大人はみんなわからないはずなんです。既に時代が変わりすぎていて、さらにこれから変わるであろう時代なんて。

ついていけていない大人が一生懸命自分の理解しうる範囲に子供たちを収めようとしているだけなんです。

進学率のよい高校に受かるため、大学に受かるため、名のある企業に就職するため、

そこにばかり重きを置いた指導をしてきてしまっているので、大事なのそこじゃないよ、という言葉を受け止めきれないんです。

「グローバル」の定義も、上からの紙面にある言葉でしか捉えられないんです。

自分たちの手の届く範囲で、自分たちにとって「安全な教育」をしているに過ぎないと思っています。

 

先日娘の学校や学童においてた立て続けに首をかしげたくなる出来事があり、

今自分の中で、根本から見直すべく勉強しております。

 

子どもには、「めんどくさいヤツ」になるくらいがちょうどいいと思っていますし、そう言っています。

自分たちを都合よくまるく収めていた大人は当然先にいなくなります。

結局なんの責任も持ってくれません。

一歩外に出たら、驚くことになると思います。

これだって私の予想です。

でも、今の自分の子供たちを見ていて、今のままでよいことは無いと思っています。

自分たちでよく考え、発言し、その発言に責任をもつ。

ただおとなしくお話をよく聞く「いい子」より、

そんな「めんどくさいヤツ」の方がよっぽど未来が明るいんじゃないかなー

 

現状うちの子供たちは私に似ず、「いい子」です^^

いいのか悪いのか、もっとめんどくさいヤツになれよ、って結構難しい教育だと思いませんか?

でも大事にしていきたいなって。

 

なんて、先生そんな風に思うんです。