「ドラえもんがやってる」をどう理解しているのか。
最近、発達障害や特性についての本を読みながら、「日本語って、実はかなり複雑な言語なんだな」と改めて感じています。
その本の中で語られていたのは、「言葉をどう処理するか」というプロセス。 読み進めるうちに、ふと一つの確信が芽生えました。
「いやいや日本語ってそもそも、ハードル高くない……すか?」
たとえば、こんな一文。
「私は彼にリンゴをあげた。」
英語なら、基本は “I gave him an apple.” です。 英語において「語順」は絶対的なルール。順番を入れ替えることは、基本的にはできません。
でも、日本語は違います。
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「私はリンゴを彼にあげた。」
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「リンゴを彼に、私はあげた。」
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「彼にリンゴをあげたのよ、私は。」
多少のニュアンスこそ変われど、これらはすべて意味が通じます。 なぜなら、日本語には「てにをは(助詞)」があるから。「は・が・を・に」が、単語の役割をしっかり固定してくれる。だから、語順をかなり自由に動かせるのです。
日本語のすごさ(難しさ)は、これだけではありません。 私たちは、“言っていないこと”を驚くほど無意識に補完していますよね。
たとえば、授業でよく例に出すのですが、 「ドラえもんがやってる。」
この一言で、私たちは「テレビでアニメのドラえもんが放送されている」と理解します。 でも、文法通りに読めば「ドラえもんが、今、何かをしている」とも受け取れます。そこに「テレビ」や「映画」という言葉は一文字も入っていないのに、私たちは文脈から勝手に情報を付け足しているのです。
あるいは、これもよく出す例。 「パンケーキは太る。」
これも普通に通じますが、本来は「パンケーキ(もしくはそれを摂取すること)は、(人を)太らせる」という意味ですよね。
「誰が」「何を食べて」「誰が太るのか」。 主語も目的語も、かなりの部分が省略されている。それでも、私たちは当たり前のように会話を成立させています。
こうした「空気を読む」「文脈から察する」という日本語特有のコミュニケーションは、実はものすごく高度な情報処理なんです。
そして同時に、「この補完が、誰にとっても自然にできるわけではない」ということも、発達特性の学びの中で強く感じました。
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言葉をそのまま、額面通りに受け取る。
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曖昧な表現の意図を掴むのが難しい。
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省略されたピースを埋めるのに、膨大なエネルギーを使う。
これらは決して「能力が低い」わけではありません。 むしろ、日本語という言語側が、受け手に「察すること」を求めすぎているのではないか。 そう思えてならないのです。
だから英語を教えるときには、あえて言葉を「正確な形」に戻して考えることが大事だと思っています。
「ドラえもんがやってる」を「アニメのドラえもんが放送されている」と言い換える。 「パンケーキは太る」を「パンケーキを食べると人は太る」と構造化する。
普段の会話でこれをやるとだいぶぎこちない会話になりますが、この「要素を整理する意識」を持つと、実は英語の理解がぐっと楽になります。
なぜなら英語は、日本語以上に「誰が(主語)」「何を(目的語)」「どうした(動詞)」を、はっきりと言葉にする言語だからです。
英語が苦手な子を観察していると、単語力以前に、もともとの日本語の構造が曖昧なまま、ふわっと理解しているケースが少なくありません。
英語を学ぶことは、普段なんとなく使っている日本語を、丁寧に見直すこと。
「英語力は、国語力である」
最近の学びで「、そんなことを考えた先生でした。