good morning ≠おはよう

我が家では毎日子どもたちが学校に出かけるときに交わす会話があります。

“ハバグッデーィ” “ユットゥー”

特別な事は何も起こらない普通に繰り返される朝。英会話なんて言えぬ程のただのキャッチボールです。ただ、「いってらっしゃい」、「いってきます」にも含まれているであろうけど、でももっと直接的に、「楽しい1日を!」「そっちもね」を伝え合えるこの表現が、いちばん「しっくり」くるし、子どもたちにとっての言葉の文化をつくっているようにも思えるのです。

「おはよう」「こんにちは」「さようなら」「お疲れ様です」

日本語のあいさつは「完結型」になりがちですが、

対する英語のやりとりは、「継続を想定した」フレーズであるように思えます。

この違いが、会話での言葉選びや、感情の表現力に大きな差を生んでいるのではないでしょうか。

 

オーストラリアでも感じたのは、バスの乗り降り時、買い物時のレジでの店員さんと、行列に並んでいる間も、コインランドリーの待っている間だって、

How is it goiing?

Enjoying the great weather in Cairns?(ちなみに土砂降りの中で、です。)

Have a nice day!

とにかく会話が始まるんです。

“Good morning!” の後に “Good sleep?” “What are you up to today?” と続くと、ただの挨拶が会話になっていく。月曜日の朝は、 “How was your weekend?”「週末どうだった?」 を聞き合うだけで、会話が生まれます。”See you!” は “I’m looking forward to seeing you again” という想いを包んでいます。

そのやりとりは、別に英語でなくてもいい。日本語でも、言葉をかけ合う文化を楽しむことが重要な練習になる。「おはよう、よく寝れた?」でも「おはよう、昨日はどんな夢見た?」でもいいと思います。

学校でも、朝の会で、みんなおはよう、週末何してた?から始まるだけで、会話が始まるんです。「日直が朝の一分間スピーチで週末にあったことを発表しましょう」、じゃないんですよ、ただの会話です。先生から当たり前に、聞いて答えて、そんな一週間の始まりがなんかハッピーじゃないですか?

むずかしくない、でも大切なこと。

 

だから、英語教育においても文法や単語だけでなく、その背景にある文化の違いを理解することが、本当の意味での「使える言語の習得」につながるのだと思っています。

 

現在の学校教育で語られる「グローバル化」や「グローバル教育」は、その多くが言語としての英語教育の強化を指しているように見えます。

しかし本来、グローバルに生きるとは、「自分を表現し、他者と考えを交わせる」ことであり、言語はそのための手段にすぎません。

そしてこの意識が、英文法や英会話レッスンの基盤となるべきなのではないでしょうか。

「言葉を交わす、継続を楽しむ文化」がないのに、「そのツールから教えこむ」教育には、やはり無理矢理感を感じてしまうのです。

学校においても、今までよりも少しでいいので、「ことばを交わすこと自体に楽しみを見出す」そんな文化的背景を持つ言語だということを伝えてあげてほしいと思っています。

まずは”Good morning”は「おはよう」ではなく、「いい朝だね」という意味だと理解することで、また他にも今まで訳していた(そう習ってきた)フレーズを、まっすぐ見直してみるだけで、教育も、こどもも、きっと変わり始めると思います。

 

日本の言葉と、習慣を否定するつもりは全くありません。もちろん一つの文化として、言語もそこに合うように育ってきたはずなので、日本人として日本で生活するにはこれほどまでに生活様式に調和する言語もないでしょう。
ただ、グローバルという視点を得た時に、もう一つチャンネルを用意する必要があるのでは、と思っています。使い分けです。それほど日本人の気質と英語圏の人のそれとでは違いがあるように思えるのです。

 

先生英語教えながら、そんなふうに考えています。