「肩書」
肩書があるから聞いていもらえる話、
肩書があるから会える人、
立ち入れる場、付いてくる人、
それは否めません。
でも、それは肩書の力であって、
本人の人間力が備わってのものかどうかは別の話だと思っています。
20代、会社員として働いていたころ、
まさしく肩書で仕事をして、そしてその肩書の力を自分の力のように錯覚していた自分がいたように思います。(とはいえ大した肩書ではありませんが。)
当時は、小さな小さな世界ですが、
いろんな方と出会い、お話しして、仕事して、食事して、遊んで、それこそ夜は渋谷だ中目黒だ六本木だのでクラブをはしごしたり、
ごちそうになったり、したり(会社の経費です)、そんなことを自分の評価に結び付けて日々仕事していたように思います。
でも、それは武藤ではなく、「○○の武藤さん」だったんです。
それで仕事も回っていたので、当時はそれでよかったとも思います。
実際とても楽しかったです^^
でも私は愚かなことに、それが自分自身の力であり、自分自身の評価として錯覚してしまっていました。
現に、会社員を辞めてからは、当時の「現場」に自分の顔の効くところなんてありゃしません^^
その後飲食業に就いた際、若いこたちと仕事をする中で自分の力の無さを痛感することになります。
その子たちは、まあ揃いも揃ってなかなかお転婆な子たちが多かったのですが、肩書なんて、ところ変われば屁のツッパリにもなりゃしないことを突き付けられました。仕事ができなきゃ誰もついては来ません。「オーナーの幼馴染の武藤さん」が通用するのははじめだけで、焦りました。仕込み、接客、発注、シフト調整、必死に仕事を覚えて、初めて自分で店をまわした日に手伝ってくれたバイトのこたち(やすこ、ひさし、元気?^^)に本当に感謝したのを覚えています。短い間でしたが、本当に大切なことを学ばせてもらいました。
今私は自分で塾をやっています。
名刺は持っていません。
大きな看板もありません。
でもこれから先も、魅力あるひとに学び、少しでも近づけるよう、
自分の力で、関わるひとを大事にしながら、
身の丈に合った仕事を一生懸命やるだけ。
40になった今、そんな風に思っています。