2019年7月13日の投稿

きれいごと

少々大げさかもしれませんが、

 

勉強というのは、健全な心を育てるためのものであると思っています。

そして、健全な心で受けるとまた、勉強も本当の意味で身についていくのだと思います。

 

反抗してもいいし、

やる気の起きないときだってあっていい、

筋の通らない言動をとってしまうのはそれもある意味「健全」で、

その年頃にあるべき「健全」な姿は、

いつもおとなしく「いい子」でいることだけではないはずです。

 

大人が、そんな多感な時期を迎える子供たちに対して、

都度都度、軌道修正を与えていかなかえればならないわけで、

ましてや自ら筋の通らない姿勢を見せてはいけないと思います。

 

大人として、

普段から主張したいことは主張してきた割に、

いざ、言いにくいことは全て他人任せ、

のこのこ出てきた任された方もまた主張ばかりでは、

残念な気持ちになります。

 

けじめのつけ方もわからなくなって、

いったい子供に何を伝えられるのでしょうか。

 

私自身、そんな立派な人間ではありません。

きれいな格好も、きれいな顔もしていません^^

失敗だってたくさんあります。

 

でも、息子たちに対しては、

心がしっかり育った人間になってほしいと思います。

そのために、きれいな服着せるより、

高等な教育環境をやたらに模索するより、

まずいちばん身近な大人として、

自分が自分で恥ずかしくない人間にならなくてはと、

改めて思ったりもします。

 

きれいごとのようですが、

大人がきれいごとから逃げてしまうと、

「正しいこと」がすべて曖昧になってしまう気がして・・・。

 

「お勉強」とどっちが大切かという序列の話ではありません。

 

バランスがとれるとまたそこに人が集まって、

楽しいことが増えると思うのです。

 

関わる人を大切にする、

関わる人の大切なものも大切にする、

私の友人が、飲むとよく言うんです。

 

あたりまえのことのようですが、続けようとするとこれがまたなかなか難しいです。

 

そんなこんな長くなりましたが、

さあ、今日は、地元のお祭りです。

お休みしたい連絡がいっぱいくるのかな~

 

「絶対ダメです」って言おうっと^^