2019年7月のアーカイブ

自分の為

昨日は朝早くから、動き出しました。

雨の中、リュウソウジャーに会いに後楽園へ。

 

小さいころ、父親にバイオマンのショーに連れて行ってもらった記憶があります。

今ピークで好きであろうこの時期に、やっぱり連れて行ってあげたくて。

 

出かける前に嫁さんから、

今日のお出かけは、「あなたが連れていきたいから行く」と思って行ったらいい、

「子供たちの為に連れて行ってあげる」って思うと、イライラしてくるからって、

そう言われました。

 

さすが日々子供たちと過ごしている嫁さんの一言は深いです。

 

まずもう出かける前から、着替えもせずグデグデ・・・

いきなり「もう今日やめるぞ」って怒鳴りそうになるのを、

いやいや今日は「喜ぶ子供たちを見たいからいくんだ」と思いなおしセーフ。

 

道中も、やれ兄妹で傘がぶつかるだの、やれリュック重いだの、雨がかかっただの、

「・・・誰のために、こうやって・・・・、

そうだった、

自分が喜ぶ子供たちを見たいから一緒に来てもらっているんだった^^」

と思いなおしなんとかセーフ。

 

でも確かに、言われてみれば、本当にそうかもしれません。

小さいころバイオマンと撮った自分の写真を見つけたときに、

一度はチビ達も連れていってやりたいな~って思ったのを思い出しました。

 

 

 

 

そして、こんな姿観たら、

やっぱり来てよかったって思うんです。

 

 

 

 

 

 

すごくうれしそうでした。

そんなによろこんでくれてありがとう。

 

やはり何でも「自分の為」って思えば、自然と謙虚さ(? 我慢強さかな?)、が生まれるんですね。

怒らずに済む場面も増えてくるのかな。

 

・・・そんな出来上がった人間になりたいです^^

 

さあ、今週も一週間天気は良くなさそうだけれど、

がんばっていこう!

 

きれいごと

少々大げさかもしれませんが、

 

勉強というのは、健全な心を育てるためのものであると思っています。

そして、健全な心で受けるとまた、勉強も本当の意味で身についていくのだと思います。

 

反抗してもいいし、

やる気の起きないときだってあっていい、

筋の通らない言動をとってしまうのはそれもある意味「健全」で、

その年頃にあるべき「健全」な姿は、

いつもおとなしく「いい子」でいることだけではないはずです。

 

大人が、そんな多感な時期を迎える子供たちに対して、

都度都度、軌道修正を与えていかなかえればならないわけで、

ましてや自ら筋の通らない姿勢を見せてはいけないと思います。

 

大人として、

普段から主張したいことは主張してきた割に、

いざ、言いにくいことは全て他人任せ、

のこのこ出てきた任された方もまた主張ばかりでは、

残念な気持ちになります。

 

けじめのつけ方もわからなくなって、

いったい子供に何を伝えられるのでしょうか。

 

私自身、そんな立派な人間ではありません。

きれいな格好も、きれいな顔もしていません^^

失敗だってたくさんあります。

 

でも、息子たちに対しては、

心がしっかり育った人間になってほしいと思います。

そのために、きれいな服着せるより、

高等な教育環境をやたらに模索するより、

まずいちばん身近な大人として、

自分が自分で恥ずかしくない人間にならなくてはと、

改めて思ったりもします。

 

きれいごとのようですが、

大人がきれいごとから逃げてしまうと、

「正しいこと」がすべて曖昧になってしまう気がして・・・。

 

「お勉強」とどっちが大切かという序列の話ではありません。

 

バランスがとれるとまたそこに人が集まって、

楽しいことが増えると思うのです。

 

関わる人を大切にする、

関わる人の大切なものも大切にする、

私の友人が、飲むとよく言うんです。

 

あたりまえのことのようですが、続けようとするとこれがまたなかなか難しいです。

 

そんなこんな長くなりましたが、

さあ、今日は、地元のお祭りです。

お休みしたい連絡がいっぱいくるのかな~

 

「絶対ダメです」って言おうっと^^